IPPレポート No.4 検証:2013年HH60墜落〜日本政府は米軍飛行再開に「理解」

2013年HH60墜落時の日本政府の文書についての調査をアップします。沖縄では2017年10月11日、CH53E大型ヘリが沖縄島北部、東村高江に墜落、炎上しました。その後、米軍は、具体的な事故原因、再発防止策を明らかにしないまま、地元の意思に反し、18日に飛行を再開することを17日に発表しました。
在沖海兵隊第3海兵遠征軍リリース
Media Release: 17-022 CH-53E resuming normal flight operations
October 17, 2017
米軍機事故の後に、沖縄側からは、必ず「原因究明がなされるまで同機種の飛行を中止する」という要請がされ、それを無視する形で飛行が再開されるというパターンが続きます。今回のCH53Eでも同様に強行的に飛行が再開されました。
しかし、その裏で何が行われていたのか、IPPの調査では過去の事故の1つの文書に着目しました。これは過去の1例の1文書に過ぎないかもしれませんが、このパターンが繰り返されていた可能性についても否定できません。
この調査は大きく報道されましたが、その後に沖縄県などが何か行動を起こしたかどうかは確認していません。この状態を放任している可能性も大きいでしょう。
この調査については、情報公開法を駆使した調査報道を展開する毎日新聞の日下部聡記者が、ロイタージャーナリズム研究所でのフェローとして書かれたリサーチペーパーの中で情報公開法を用いた調査の一例として挙げてくださいました。
Reuters Institute Fellowship Paper University of Oxford
”Freedom of Information Legislation and Application: Japan and the UK”
By Satoshi Kusakabe
以下、レポートです。


河村 雅美(The Informed-Public Project 代表)
Dr. Masami Kawamura
2017年10月23日

 2016年9月22日、アメリカ海兵隊のAV8Bハリアー攻撃機が嘉手納基地を飛び立った後、辺戸岬の東約150キロの太平洋上に墜落した。
米軍事故が発生すると、抗議決議、意見書などの沖縄側からの怒りの意思表明があり、それにも関わらず、原因究明なき米軍機の一方的な飛行再開が強行される、という悪しきパターンがある。またもやこのパターンが繰り返されるのか、という思いがよぎった。
それは、2013年8月のHH60のキャンプ・ハンセン墜落の事例を検証していたからだ。
今回、IPPは、ハリアー墜落を受け、県民の頭越しに行われる飛行再開を避けたいという考えから、HH60の調査で明らかになった文書の流れについての警告的な調査発表をした。
米軍のHH60の飛行再開リリース時、沖縄防衛局が沖縄県の要請を鑑みず、飛行再開を理解できるという文書を米軍に送り、原因究明をしないまま、再開のゴーサインを実質的に出していたという事実があったことを文書が明らかにした。
これが何を意味するか。沖縄と米軍の「仲介」「調整」役と考えられている沖縄防衛局は「何もしていない」という批判をされてきていたが、そうではなく、「余計なことをしていた」ということではないか。そして、これは、この1回限りのことかといえば、そうではなく、おそらくこのパターンが繰り返されていたのではないかという推察ができる。
沖縄の米軍問題は、米韓、米独、米伊と単純に比較できない問題を孕んでいるが、それは、沖縄の頭越しにこの「調整」が米日間で行われてしまうという、問題であろう。しかし、これに対して、沖縄が強い姿勢を示しているか、というさらに根深い問題がある。
このレポートは沖縄タイムスのトップニュースとして報じられた。
沖縄タイムス「2013年米軍機墜落事故調査中に政府が飛行容認」(2016年9月28日)
以下、その詳細である。

HH602013年8月ハンセン墜落 沖縄県からの文書要請

2013年8月5日、米軍機HH60はキャンプ・ハンセンに墜落した。それに対し、8月6日、沖縄県知事仲井眞弘多(当時)は日米関係機関に要請書を送付している。
沖縄県ウェブサイトにアップされているのは、内閣官房長官菅義偉、外務大臣岸田文雄、防衛大臣小野寺五典、の3者である。
沖縄県の以下のサイトで公表されている。
http://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/kichitai/chijihatugen/documents/20130806-hh60herituiraku.pdf)
沖縄県への情報開示請求により開示された要請書は、沖縄防衛局長武田博史、在沖米空軍第18航空団司令官ジェイムズ B.ヘカー准将(日英)、在日米軍沖縄地域調整官ジョン・ウィスラー中将(日英)宛へのものであった(この3通に関しては、ウェブサイトに公開されていない。理由は不明である)。
どの書簡も、

原因究明がなされるまで同機種の飛行を中止するとともに、事故原因の徹底的な究明と早急な公表、再発防止措置やなお一層の安全管理の徹底等に万全を期すことを、米軍に対し強く働きかけていただくよう要請します。

という要請がされている。

嘉手納基地からの飛行再開リリース

しかし、事故から10日も経たない8月14日、嘉手納空軍から同機種飛行を8月16日に再開するリリースが発表された。

HH60の整備点検や訓練手続きの再確認・再教育が行われたこと等は記されているが、事故原因については調査中であると結ばれている。
「原因究明がなされるまで同機種の飛行を中止する」という県の要請は果たされていない。

沖縄防衛局による飛行再開理解を示す文書

この米軍側の飛行再開を「理解できる」と追認した文書が、米軍リリースの同日、沖縄防衛局から発せられていたことが、筆者の調査で発覚した。
沖縄防衛局から米軍に対して発せられた文書


これは、「原因究明がなされるまで同機種の飛行を中止する」という沖縄県側の意思を無視し、米側の飛行再開を追認する、ということを意味している。
この文書が同日の14日付でリリース後、即座に送付されていることも、着目すべきであろう。
このようなことが、事故の度に繰り返され、恒常化されているのではないか、という疑念が生じる文書である。

8月15日には日米合同委員会で議題に

HH60墜落についてIPPが開示請求していた外務省不開示文書のリストから、8月14日に上述のようなやりとりがあった次の日に、HH60墜落についての地元からの要請についての議題が8月15の日米合同委員会で話し合われていたことがわかる。
その後、米軍の8月14日のリリースでの予告どおり、8月16日にHH60は飛行を再開している。

防衛局文書はその後の交渉のベースに

この沖縄防衛局の文書が、その後の日米間の交渉でベースになっているということがわかる文書がある。飛行再開後の8月20日付沖縄防衛局から18航空団へのメールである。
これは中部市町村会の沖縄防衛局からの要請時にあった、嘉手納町からの申し入れを米軍に伝える沖縄防衛局のメールである。嘉手納町の申し入れ内容は、HH60の住民居住地域上空での飛行と訓練の禁止であった。

沖縄防衛局の文書では、8月14日の防衛局から米軍への文書を引用し、嘉手納町の申し入れを防衛局に以下のとおり、伝えている。

“I’d like to reiterate my request that “the United States Government pay due consideration to the public safety more than ever in operating military aircraft including HH-60 helicopter, and take every possible measure to ensure safety.”
“先日、貴職に対して文書で申し入れさせて頂いた「HH-60 ヘリコプターを含む軍用機の飛行運用に際しては、これまで以上に公共の安全に妥当な考慮を払うこと」及び「安全対策に万全を期すこと」を改めて申し入れさせて頂きます。”

つまり、日米間の交渉等のコミュニケーションにおいて、沖縄防衛局の文書が、日本側の意思を主張する時の依拠する文書となり、それが沖縄の申し入れを米側に伝える時に用いられるということである。飛行再開時に日本側はそれを理解した、という文書が最終的な意思となり、日米合同委員会でもそれが確認されていることも予想される。

文書で積み重ねられる意思

コミュニケーションにより、関係は構築され、更新されていく。沖縄が知らぬ間に出されている日本政府の文書が、沖縄を含む、日本側の最終的な意思表示として米側に認識され、積み重ねられているのである。
沖縄県の基地対策課は、筆者との電話のやりとりで「沖縄防衛局の文書全てをチェックするわけにはいかない」と話した。果たしてそうなのだろうか。
沖縄県の文書が、日本政府の文書で上塗られ、それが意思として米側に伝わり続けている—それが沖縄の現状なのではないか。日米合同委員会の前日にわざわざ防衛局が「理解する」文書を送付する時系列的な意味も考える必要がある。
この調査により、文書の意義、それが積み重ねられることにより発せられるメッセージは何かについて、行政も市民も再考する必要があるのではないかと考える。

ハリアーの飛行再開

ハリアーの飛行再開は、結局、事故原因を究明しないまま、10月5日、米軍ニコルソン四軍調整官が7日から全面的に再開すると会見で発表し、再開した。
沖縄防衛局は今回も「理解した」という意思を伝えたのだろうか。
私たちから問題が提起された今、それを確かめるのは、もはや関係する自治体や議員の仕事ではないかと考えるが、それをしないというのも沖縄の一つの意思であり、それは沖縄のメッセージとして日米に受けとめられるということである。
❐HH60墜落時の文書時系列表
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2013年8月5日 HH60キャンプ・ハンセンに墜落
8月6日   沖縄県知事、米軍、防衛局等に要請文書を送付
8月14日 嘉手納空軍 飛行再開を発表
沖縄防衛局 同日に飛行再開に理解を示す文書送付
8月15日 日米合同委員会でHH60の議題がとりあげられる
8月16日 飛行再開
8月20日 嘉手納町の要請を受け、沖縄防衛局から米軍へ要請メール
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