沖縄の米軍基地汚染問題の「これまで」と「これから」

沖縄の米軍基地汚染問題はこの10年ほどで大きく展開するようになりました。

今、沖縄はこの問題でどのような道をたどり、どのような課題を抱えているのか。

これを簡単に振り返り、問題を当事者として解決していこうとする立場から話す機会がありました(10月27日(土)沖縄環境ネットワーク結成20周年記念集会の第3部「基地からの環境汚染」のクロージングのコメント)。それに加筆・修正し、記事にしたものをここに公開します。(今回の記事は出典、注については控えめにしています。)


沖縄の米軍基地汚染問題の「これまで」:ジョン・ミッチェル氏の報道と沖縄のデータをつきあわせる

沖縄は今、ジョン・ミッチェルさんが調査でだしてきた証言やデータと現地の情報が重なり合わさって、汚染の実態や、沖縄特有の基地汚染の性格、存在する情報、それにアクセスするツール、というものがわかってきた、という段階ではないかと思います。
ここでは、沖縄の米軍基地汚染問題がどんな段階にあるのか、ということを沖縄の基地問題について記事を書いてきたジャーナリストのジョン・ミッチェルさんの調査報道と、沖縄側の動きを軸としてみていきたいと思います。

なぜなら、基地汚染問題が実感を持ってとらえられるようになったのは、2011年のジョン・ミッチェルさんの沖縄の枯れ葉剤に関する調査報道によるものが大きいからです。

顔と名前を明らかにした退役軍人が、沖縄の人たちにとって身近な地名の上で、どんな作業をしていったか、その後、退役軍人がどのような苦難を負っていったかをジョンさんは証言をもとに描写していきました。その記述は、米軍により、退役軍人の身体と、この島がいかに毒されたていったかを、リアリティをもって沖縄の人に実感させていきました。

ジョン・ミッチェル『追跡・沖縄の枯れ葉剤』(高文研、2014年)

沖縄ではそれを受けた動きが展開されていきました。ジョンさんの調査は県内紙で報道され続けていき、単発で終わるこれまでの「疑惑」報道とは違う様相を呈していきました。特に、琉球朝日放送が退役軍人に取材をした番組「枯れ葉剤を浴びた島」(2012年5月)は大きな反響を呼びました。退役軍人が自らの経験と疾病、そしてこの島に住む私たちへの懸念を自らの声で示したことは枯れ葉剤使用の「疑惑」を「確信」に変えていき、市民の日本政府、沖縄県への追及につながりました。それらには無視を決め込むことができず、外務省がアメリカに依頼し、ずさんな枯れ葉剤否定の文書を米国側から出させることにつながったと思われます。これが2013年初頭のことで、これをもって日米政府は沖縄の枯れ葉剤の話を幕引きして、終わりにしようとしたわけです。


そして、その年の4月に日米政府は「嘉手納より南の土地の返還計画」を発表しました。土地返還には条件があるにもかかわらず、土地の返還を進めていくことで沖縄の「基地負担軽減」を謳い、沖縄に返還をありがたがらせる政策を推進していったわけです。跡地の汚染の問題である枯れ葉剤問題の「決着」はその前に済ませておかなければならないことでもあったでしょう。

更に、その2ヶ月後の6月、米軍基地汚染問題から目をそらせようとした日米政府をあざ笑うかのように、沖縄市サッカー場から枯れ葉剤製造会社の印章があるドラム缶がサッカー場から顔を出しました。これが起きた場所が、2012年に改正され、上記返還計画で適応される跡地利用特措法が適用されない、無法状態の土地だったことも皮肉なことです。

沖縄市サッカー場ドラム缶発見現場写真(桑江直哉沖縄市議提供)

沖縄市議会、環境NGO、メディアが調査を監視し、プレッシャーをかけたことで、沖縄市のクロスチェックを伴う全面調査が実施されました。「枯れ葉剤問題」としての報道の方向性は、人々の注目を引きつける一方、この問題を日本政府に逆手にとられることになります。沖縄防衛局は枯れ葉剤を否定するために、複雑な調査を莫大な費用をかけて実施し、目くらましの評価をして幕引きをはかりました。それでも沖縄の現場のデータとして様々なことがわかりました。
枯れ葉剤の存在も実質確認されましたが、沖縄の基地汚染は有害物質が複雑に投棄され、複合的な汚染が存在することがデータとして浮かび上がったのです。それは沖縄の地元の努力による成果です。

そして、それは問題の口火の部分に戻っていきます。日米政府は枯れ葉剤の存在を否定しても、そのデータは国を超え、退役軍人の補償のデータとして使われています。沖縄で生み出した成果が海を超えて命を支えているかもしれません。

ジョン・ミッチェル氏のサイトの退役軍人の補償情報パートより

あわせ鏡のようにジョンさんの調査と現場のデータで、基地汚染、また、それが基地外ににじみ出ていることがわかるケースは、返還予定のキャンプ・キンザーのケースです。

キンザーにおける汚染の深刻な状態、また、米軍が汚染に音をあげて処理を放り出したことがよくわかる書類をジョンさんは情報公開法で入手し、発表しました。そのデータを、沖縄の現地の研究者、名桜大学の田代豊さんが専門家としてたずさわっている浦添市の調査のデータ、県の過去や現在のデータを、ジョンさんの書類と重ね合わせると、キンザーに残る汚染の状態、またそれがどのように基地の外に染み出しているかがよくわかります。

その動きが2015年のことであり、皮肉なことにその年の9月に環境補足協定と立ち入りの合同委員会合意の発表がありました。結局これが使えない代物であり、目くらましの協定であったことがキンザーのケースでも、後に述べる水の汚染の問題でもわかります。


外務省HP

よく、返還跡地問題となると「米軍は使用履歴を出せ」と議員やメディアはそのイメージもなくいうのですが、キンザーの場合、それよりももっと有効な汚染履歴ともいえる文書が出て、現地でのデータの積み重ねが存在しています。後で述べる問題につながりますが、それを読んで使いきれるかどうかが課題になっています。

反対に、沖縄のデータが先に出たものがPFAS(PFOS,PFOAを含む有機フッ素化合物)の問題です。PFAS汚染は問題を把握していながら、2016年になってやっと県がデータを公表してきました。

PFAS汚染の原因である米軍の泡消火剤の漏出の問題は、通報の実態における調査でジョンさんも記事を出してきましたが、実際に水源や生活圏での水のデータをだしたのは嘉手納基地由来のケースも普天間基地由来のケースも沖縄の行政です。

両基地内で、蓄積された土壌汚染、地下水汚染が発生していることが明らかになっています。IPPは、現地の優位性を活かし、米軍、日本政府、沖縄県間で何が行われているかをウォッチし、PFOS/PFOA除去の活性炭フィルターを県費で負担している問題米軍の不実な対応姿勢日本政府や沖縄県の交渉能力の無さなどを暴き、報道に載せてきました。それだけでなく、問題を整理し、米国などの情報も共有すること を現在のミッションとしてやっています。

IPP作成普天間基地周辺PFAS汚染地図

そこにジョンさんの普天間基地内のPFOS・PFOAの報道(沖縄タイムス「普天間飛行場に有害物質、高濃度で汚染 2016年・米海兵隊調査 民間地域へ流出か」(2018年10月27日))を重ねると、なにが起きているかが浮き彫りになってきます。この両方からの情報を落とし込んで交渉の道具を作っていくことができる、そういうことができる可能性が見えています。

これは、ジョン・ミッチェルさんという稀有な能力を持つジャーナリストがいるということ、そしてそれに対応していく現場の沖縄側の市民や研究者等の相互関係で、このようなことが可能になっているのだと思います。

これが沖縄の基地汚染問題の現状の一面です。


基地汚染問題の「これから」:知ってどうするか、沖縄は何がしたいのか

このような状態である一方、沖縄側は致命的な問題を抱えているというのが私の認識です。「沖縄側」についてはここでは行政、議会、市民を含んでおり、アクターとその相互関係についてのしっかりした整理は今後の課題になります。

その問題は、情報はでてきた、では沖縄は知ってどうするのかという問題を議論していないという問題です。ジョンさんの出してくる情報に圧倒されているという状況もありますが、今、汚染の酷さ、日米政府の怠慢、無知、無能をただただ再確認するだけになってしまっている節があります。そして問題を「日米地位協定ゆえに」という問題に還元してしまって思考停止してしまう傾向があります。得た情報を使えていない県政、市町村、議会、市民についての自省がないのが現状です。

知ってどうするのかの問題を考えるには、「沖縄は基地汚染問題をどうしたいのか」という問題からスタートして、そこから逆算してどう取り組むかの戦略を立てることが必要だと思います。そこが議論できていないというのが現在の段階であり、問題です。

講演などでもこのことはこれまでも話していたのですが、強く確信したのは、アメリカのPFAS問題のアクティビスト達とのやりとりからです。IPPで国際発信を始めて沖縄のPFAS問題は彼女らの中で認識されはじめました。米国連邦議員に話をしてくれたり、オンラインの会議に誘われて参加したり、国際社会の中で発信の機会がでてきています。

そこで自分の地域の問題を話すときに問われるのは、「最終的な目標は何か、そのためにやっていることは何か、その戦略は何か」ということです。

新基地建設阻止の運動の目的は、基地建設を「止める」という明確な目標があるのに比べると、汚染問題については、必ずしも大きな目標や目的を確認していません。
日米地位協定の改定、というよく挙げられる目標も、それは目的の一つの手段に過ぎません。
何が目標かは、私達の環境や、健康、安全を守ることを軸に考えなければならないことです。


具体的な話として、今、起きている普天間飛行場周りのPFAS汚染の問題からとりあげてみます。PFASが検出されている湧水を飲まないように、ということを県は宜野湾市、自治会を通じて周知しているといっています。でも、湧水を飲まないように、という看板ひとつつけられていません。実際に、湧水に行く人は自治会員だけではありません。喜友名泉は道路に面したところにも水が流れています。県にも市にも電話しましたし、議員にもいってきました。でも、看板をつけることさえ、やりきれていないのが沖縄現地の実態です。

子どもが遊んでいる喜友名泉。

また、この喜友名泉(チュンナガー)から最高値1300pptという、高濃度のPFASが検出されています。米国環境保護庁の生涯健康勧告値は70pptで、この値はもはや危ういということが科学者によっても指摘されていることをIPPでは提言書で伝えてきました。
しかし、それを喜友名区では、ポンプアップして簡易水道として、家庭菜園等に用いています。今年の8月に、喜友名に住んでいる県議会議員に、市民2人と8月にアメリカの対応例(バーモントでは5種のPFASが20pptを超えたら家庭菜園などへの散水をしない推奨をしている)も伝えてきました。土木環境委員会の委員長として上記提言書も送付してあります。その後どうなっているか、まだ報告は受けていません。汚染されている湧水を用いている大山の農地の調査も限定的です。県は不明瞭な調査評価の記述をし、汚染範囲の確定という、最低限の包括的な調査の動きもみせていません。宜野湾市も「風評被害」を理由にことを大きくさせたくない動きがあるようです。一体「風評被害」とは何を指しているのかの議論もされていません。普天間基地からの水の農業での利用の問題はタブーとされ、市民には行政から十分で正確な判断材料を与えられてはいない、というのが現状です。

沖縄県議と(2018.8)

これでは、米軍からすれば、自らが起源の汚染について、地元が都合よく安全宣言をしてくれて、これまでと同じように水を使い続けている、汚染が発生していても、誰も何も困っていないというように見えるのではないでしょうか。

「被害者がいない」ので被害がないというわけでもありません。把握する努力もできていないのが現状です。化学物質の被害というと、劇症型の疾病のみをイメージするのみで、複数の微量の化学物質の蓄積について予防的に考慮していくことができていないことも問題です。

それに、もはやこの水は大丈夫なんだろうか、と不安に思って暮らさなければならない状態自体が被害といえると思います。私自身が宜野湾市民で、嘉手納基地の汚染の影響を受ける北谷浄水場からの水を使うので、この不安は当事者として感じていることです。


一体、沖縄は汚染問題をどうしたいのか、ということをやはりこの問題を通して議論する必要があると思います。現地で話をすると、「自分たちは慣れてしまった」という言葉がでてきます。
「米軍基地が悪いのになぜ私たちがやらなければならないのか、沖縄の行政を批判しなければならないのか」という反応をうけることもあります。

しかし、これは健康、安全、生活の問題です。

基地のある土地からの有害物質が含まれている湧水が生活・生産空間に流れていること、汚染されている水源から取水される水が飲料水となっているという事実。そしてその汚染源をコントロールできないというシステム。そのシステムを非難していても流れてくる水は変わらないのが今の沖縄です。

もうこれは待ったなしの問題です。その水に触れている私たちが強い行動をとって安全を守り、強いメッセージを送らなければ問題は解決しないと思います。

汚染を放置しているようにみえる行為は1つの選択の結果として外から認識されます。その行為は選択した行為とみなされ、それ自体が外へのメッセージになるからです。

繰り返しになりますが、問題解決のためには、基地汚染問題をどうしたいのか、ということを決めることが必要です。

国際社会に沖縄の問題を持っていくのにも「これではもっていけない」というのが実情です。目的を明確にし、そのために自分たちは何をやっているのかということをメッセージとして外に説明できるものを持っていなければならない。国際社会は、連帯という温かい側面もありますが、<地元でできることをやってからその問題はもってこい>という厳しい面をもつところでもあります。実際のところ、沖縄は環境に関心が薄いと思われているような節もあります。

  • 汚染された土地や水をどうしたいのか。
  • 誰の手で、どのように、汚染を調査、浄化したいのか。
  • 沖縄県や自治体は日本政府にお任せして名ばかりの「協議」や「監視」や「指導」をしていくのか。
  • 米軍基地汚染の実態を明らかにしていきたいのか。これまでどおり利用計画にあわせた日本政府主導の汚染対策をしていくのか。
  • 米軍とどういう交渉をしたいのか。相変わらず日本政府との”信頼関係で”日本政府を仲介とするいいかげんな「調整」を続けてほしいのか。
  • 基地内の漏出の事故は全部通報してほしいのか、通報されたらその情報をどうしたいのか。情報を入手して何が自分たちでできるのか。
  • 「日米地位協定の抜本的改正を」という抗議をしつづけるだけで終わるのか。
  • いつまでも地位協定のせいにしてドイツやイタリアの比較をして終わるのか。
  • 住民参加のプロセスはどうするのか。県は小手先のリスク・コミュニケーションの勉強をひたすら続けて実質的な住民参加は求めずいくのか。

したいことは、すぐにできるわけではなく、資料を読むスキル、沖縄の文脈で何が問題かを判断する分析力、情報を収集する力、問題を広げるツールを使いこなすスキル、交渉能力など、能力も必要になってきます。

ある意味、「知る」ということも、どこまで私達は「知る」ことができているかということを、確認する必要があるのだと思います。知るスキルを上げ、知るレベルを上げる、そして伝えるスキルをあげて声をあげること。これしか、安全を阻むものと闘う道具は持てないように思います。

このような作業は基地問題に限らず、環境、安全、健康に対してわたしたちは、どう取り組みたいのか、という根本的な問題を考えることにもつながることになります。


知った者の責任を果たすこと

もはや「情報がでてこない」ことを言い訳にできる時代は終わりました。

知った人たちは、知ったら何かをしなければならない。知った者は責任が生じます。知ることはそれだけ重いことだと思います。

でも知ることは、汚染問題に向かい、安全な環境を取り戻すための最低限の道具でもあり、それを使って問題を突破する可能性を含む唯一の行動でもあることを希望を持って、ここで認識しておきたいと思います。


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