沖縄全戦没者追悼式の場所変更に関する開示請求

 

『新沖縄フォーラム けーし風』(2020.10)「特集 沖縄戦の<つなぎ方>」で、The Informed-Public Projectの沖縄全戦没者追悼式の場所変更の調査について寄稿しました。
  沖縄戦についてはIPPの領域外ではありますが、調査の経緯もこちらに記しています。ある意味、情報開示請求による調査方法の手引きにもなっています。
 結果的に、素朴な疑問から沖縄戦の継承の困難という問題に新たな角度から切り込み、報道からだけでは見えない県庁内の沖縄戦の風化を明らかにすることになりました。
   許可を得て以下転載し、入手文書を公開しますので、今後の議論につなげていただけたら幸いです。 
 この機会を与えていただいた「けーし風」の編集部の皆様に感謝いたします。
(『けーし風』はBooks Mangrooveで購入可能です。)

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         沖縄全戦没者追悼式の場所変更に関する開示請求

                         河村 雅美
                        (IPP代表) 

 新型コロナウィルス対策に伴う、慰霊の日の沖縄全戦没者追悼式の平和の礎付近の広場から国立戦没者墓苑への場所変更については県内で大きな議論を呼んだ。専門家や市民は場所変更の決定に異を唱えて行動し、県は最終的に、式典会場を従来の会場に戻すこととなった。
 「国立沖縄戦没者墓苑」という場のアイデアは誰が出し、どのような議論を経て決まったのだろうか――。筆者は、基地環境の面から行政の監視活動を行っているThe Informed-Public Project(以下、IPP)の代表であり、沖縄史の領域は専門家ではない。しかし、通常の活動でも、政策決定過程と、その中での国と県の関係に意識的であるため、誰が、なぜ、どのような根拠で場所の変更が発案され、誰と交渉して決定されたのか、市民として知りたいと思い、情報開示請求の手法で調査をした。そこからは、これまでの報道ではみえてこない県の追悼式に対する姿勢が見えたため、結果について専門家に評価を依頼し、その結果が県内紙両紙に報道されることとなった[i]
 本稿では、この調査過程と若干の論考を記すこととする。調査手法を共有し、現在の行政の歴史認識を把握することの意味について議論する材料を提供したい。

情報開示請求
 これまで用いてきたIPPの手法と同じく、沖縄県の情報公開制度の電子申請システムで「2020年度の慰霊の日の沖縄戦没者追悼式の会場が沖縄戦没者墓苑に変更となった経緯(発案者や日本政府とのやりとり)についてわかる文書一切」(2020年5月21日付で請求)の文言で関係文書を請求した。6月3日付けで「調整資料」という文書件名の公文書開示通知が「子ども生活福祉部保護・援護課」からあり、開示文書が送付された。 

開示された文書
 開示された公文書は「調整資料」という名前で括られた計17ページの文書であった。
開示された文書は案が記された3文書(「4案:従来案と3つの変更案(中規模案と縮小案2案)(印刷日2020/4/17)」、「3案:中規模案1案と縮小案2案(印刷日2020/4/23)」、「 国立沖縄戦没者墓苑案 (印刷日2020/5/13)」)と、国立沖縄戦没者墓苑に関する資料(「国立沖縄戦没者墓苑」(出典不明)、「国立戦没者墓苑図」)、県知事から日本政府への県内招待者となったことの通知文書(県知事から内閣総理大臣、厚生労働大臣、沖縄及び北方対策担当大臣(2020年5月14日付))、の6種類であった。
 開示された文書では、日本政府とのやりとりや、県庁内の議事録、関係者の議論が示されている文書は存在しなかった。

聞き取りによる調査
文書の開示後、文書のみではわからない点に関しては直接担当者に聞き取りで確認をすることができる。6月25日に援護課の大城課長と電話で話をし、以下のことを確認した。
1)この決定は決裁をとって決定したものではない。
2) 援護課で案を作成し、県知事、副知事、政策統括官に案をまわして決定した。
3)国とのやりとりはない。県庁内で案を出し、県庁内で完結して決定したものである。
また、報道でも繰り返し述べていたように、墓苑については拝礼式もやっていたので、という経緯を説明していた。

文書からの分析
各段階で出された場所の案は以下のとおりであった。

1. [従来案]式典広場(通常の式典会場) 
[中規模案]式典広場 一般県民の参列なし
[縮小案1(総理大臣招待あり)]国立沖縄戦没者墓苑 一般招待者・一般県民参列なし
[縮小案2](総理大臣招待なし)国立沖縄戦没者墓苑 一般招待者、一般県民、75周年特別5人なし 
2. [中規模案]式典広場 一般県民の参列なし
[縮小案1(総理大臣招待あり)]国立沖縄戦没者墓苑 一般招待者・一般県民参列なし
[縮小案2](総理大臣招待なし)国立沖縄戦没者墓苑 一般招待者、一般県民、75周年特別5人なし 
3. 「国立沖縄戦没者墓苑」案 

 各案にはそのメリット、デメリットが記されている。そこで判断の基準としているのは当然のことながら①「感染拡大のリスクがどうなるか」という点であった。しかし、もう一点重要となる基準が、②「国と県、県民が一体となって、戦没者に対する追悼の意と不戦の誓いを示すことができるかどうか」という点であった。これは報道の中にはない記述であり、開示された文書で初めて見る表現であった。そしてそれを実現しうる十分条件が何かということになると、内閣総理大臣招待があるかないか、であった。式典の完成形は内閣総理大臣の参加が実現し、国と県が一体となってのものであった。沖縄国際大学石原昌家名誉教授は戦時中を想起するとして、この文言を報道紙面で強く批判している。

この②の点については、最初の案から最後まで記されており、知事、副知事、政策統括官もこれに目をとおし続け、決裁をとる事案ともせず最終的な決定をしていることとなる。「一体となって」十分となる、という認識について県幹部が違和感もなく、この文言をスルーしていたこともわかる。

「国立戦没者墓苑」問題については知事の「場」についての「不勉強」が謝罪されて、問題が終わった形になっているが、実際は「場」についての議論は驚くほど県庁内ではなかったのである。国からの「場」の提案の可能性も筆者の念頭にはあったが、それはなく、拝礼式からの自然な流れで「場」は設定されたことがわかる。

沖縄戦の風化が行政の中で、どこで、どのような場で、起きるのか。この政策決定過程の文書がその議論の一つの材料となるかもしれない。

 

[i]沖縄全戦没者追悼式 検討案 場所の意味触れず 県、コロナと首相招待主眼」(琉球新報、2020年9月10日 有料記事)、「『国と県一体』を疑問視 戦没者追悼式 県の会場変更理由」(沖縄タイムス、2020年9月24日)

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