東京YWCAさんの慰霊の日のSNSキャンペーンで、「あなたの慰霊の日に読んでもらいたい本を教えてください」のテーマで執筆を依頼され、ジョン・ミッチェル氏の『追跡・沖縄の枯れ葉剤』を選びました。そのエッセイを下に転載します。
私もジョン・ミッチェルさんも、この取り組みにより米日の隠蔽の構造を具体的に学んだと思っています。現在のPFAS汚染問題も同様の構造です。
このエッセイがきっかけで、「むさしの市民平和月間2023」でお話をすることになりました。
(「沖縄の米軍基地による環境汚染:PFAS汚染と日米沖関係」11月25日)
以下、エッセイです。下には参考に「米軍の負の遺産の歴史を紡ぐーー『沖縄の枯れ葉剤』問題から」(『歴史地理教育』2016年3月)を読めるようにしてありますのでご関心のある方はどうぞ。
慰霊の日は、沖縄戦の戦没者を追悼する日であり、戦争について思いをめぐらさざるを得ない日です。
なぜ沖縄戦の追悼の日にベトナム戦争の本を推薦?と思うかもしれません。それは、沖縄が、沖縄戦という地上戦は終わっても、米国の対外戦略の中で基地の島として位置づけられ、米国の戦争に巻き込まれ続けてきた「その後の沖縄」を多くの人に知ってもらいたいからです。そのようなことに思いをはせるような「記念日」はありません。多くの人の命が奪われた後に、土地も水も奪われ、何が起こっていたのか、それは今、問題になっている米軍基地による水の汚染とも地続きになっています。
ウェールズ出身のジャーナリスト、ジョン・ミッチェル氏のこの著は、ベトナム戦争時に沖縄に駐留し、沖縄で使用した枯れ葉剤の被害の補償を受けられない退役軍人の証言を中心として書かれました。なぜ補償を受けられないのかーーそれは、沖縄が、米国から枯れ葉剤を使用・保管した地域として国防総省から公式に認定されていないからです。当時、太平洋軍司令官シャープ大将が「沖縄なくして、ヴェトナム戦争を続けることはできない」といったことからわかるように、また、数々の証言や文書の証拠からもその可能性は否定できないのにも関わらず、沖縄は枯れ葉剤に関しては「なかったこと」にされ続けているのです。愛国者として兵役に就いた退役軍人が、国に声をあげることはリスクもあり、心情的にも辛いことであったでしょう。しかし正義のためにあげた彼/彼女らの声を記されたのがこの著です。
戦地のベトナムでは、環境と何世代もの人体に枯れ葉剤が甚大な被害を及ぼしていることは周知のとおりです。実は沖縄にもその負の遺産――環境汚染が残っています。時空を超えて、枯れ葉剤という戦争の産物をとおして、戦争とは何か、それにより破壊される環境、傷ついた心身など、空間と時間を超えて考えるためにも、この本を推薦したいと思います。
沖縄と日本はアメリカの戦争に巻き込まれ続けていますが、その影響が本土と沖縄でどれだけ違うか、この負の遺産を通して、沖縄戦後の歴史を考えてもらいたいためにも手にとっていただきたいと思います。
また、この著は過去の戦争に対する正義の追求をつなぐ著であるともいえます。
ジョン・ミッチェル氏の報道を受け、沖縄でNGOとして動いたことが、今の私のNGO活動や大学での教育活動につながっています。退役軍人やその家族とも関係を築いていきました。米軍は枯れ葉剤の使用を否定し続けましたが、その後、2013年には、ミッチェル氏の集めた証言や文書を裏付けるかのように、沖縄市のサッカー場で枯れ葉剤製造会社の印章のあるドラム缶が発見されました。ミッチェル氏の調査が沖縄で続いていたことから、この発見は県民が注目することになりました。私たちは、日本政府や沖縄市の調査に透明性を求め、報告書を専門家と分析し、日本政府にて幕引きされないように、メディアや議員と必死に動きました。
その結果、108本のドラム缶が掘り出され、枯れ葉剤成分がドラム缶の中から検出されるという調査結果を引き出し、沖縄の米軍返還跡地の実態が明らかになりました。それについてもこの本の中に記されています。それでも日米政府は枯れ葉剤の沖縄での使用は認めませんでしたが、これは1つの小さな勝利でもありました。この結果も退役軍人が補償の申請に用い、退役軍人省による沖縄での有害物質の曝露での補償も報告されるようになっています。一方、治療費が工面できずに命を落とす人たちも多くいます。
現在沖縄は、有機フッ素化合物(PFAS)による水の汚染が問題となっていますが、退役軍人が沖縄になじみのある基地や土地の名前を出して証言し、ミッチェル氏がそれを記述して報道してくれたことが、具体的な汚染の認識の始まりになったと私は思っています。
戦争の負の遺産は消すことはできません。しかし、過去の戦争に対する正義の追求をそれぞれの地でなしていくことを積み重ねていくことの重要さを、この著は教えてくれると思います。