『科学』2021年7月号に掲載された論文「『宮古島市におけるスクリーニングPCRの疫学的推定」に対する検証」を岩波書店の許可を得て、以下内容を転載する。
この論文については、別記事 “論文「『宮古島市におけるスクリーニングPCRの疫学的推定』に対する検証」(『科学』2021.7 )解説” に開示請求で入手した文書や、関係者への送付文書、解説があるので参照されたい。
論文の対象となっている「宮古島市におけるスクリーニングPCRの疫学的推定」文書は、本記事の一番下にアップしている。
「宮古島市におけるスクリーニングPCRの疫学的推定」に対する検証
徳田安春 とくだやすはる
群星沖縄臨床研修センター長
河村雅美 かわむらまさみ
The Informed-Public Project 代表
新型コロナウイルス感染症のパンデミックに対する対策には、感染症に対する3大基本対策である、感染源対策(検査発見および保護隔離)、感染経路対策(マスク装着とソーシャルデイスタンス.換気など)、宿主感受性対策(ワクチン接種)がある。このうち、最も効果が期待されているのはワクチンであるが、新興感染症である新型コロナウイルス感染症には、ワクチン開発と接種にかなりの期間がかかるため、それまでの間行うべき対策は感染源対策と感染経路対策となる。これまでの日本国内での対策は政府の主導によって感染経路対策が中心であったが、無症状者を含む人々に対する検査発見および保護隔離による感染源対策の導入を我々は提言してきた。そのような中、沖縄県宮古島市長選挙の投開票が1月17日に行われ、市民全員の検査計画実施を打ち出していた座喜味一幸氏が当選を果たした。しかし、これを実施する準備段階で、国立感染症研究所と沖縄県立中部病院感染症内科の専門家とに相談した際(2021年1月下旬から2月上旬)、「宮古島市におけるスクリーニングPCRの疫学的推定」という文書をもとにしてその検査計画の有効性がないと助言された結果、市長はその計画を断念した[1]。そこで我々は、情報公開請求で「宮古島市におけるスクリーニングPCRの疫学的推定」(以下、「宮古島市への助言文書」とする)を宮古島市から入手し、市長の政策決定に適切な科学的知見が提供されたのか、この文書を通じて検証を行ったので報告する。なお、専門家の名前はすべて不開示であった。
検証
(1)推定の根拠について
「宮古島市への助言文書」で「推定の根拠」として冒頭に挙げられた2論文(図1)のデータは科学的に妥当であり、その他の多くの論文も同様な結果を示している。
しかし、「推定の根拠」のうち図2に示す論文の偽陰性率は二つの点で問題である。一つ目は、この論文は診断目的の検査としての感度を報告した論文である。防疫目的の社会的スクリーニング検査は診断目的ではない。今回の検査は防疫目的で行われるものであり、「感染性を有する(感染を広げるウイルスをもつ)感染者」を発見して保護隔離し周囲への感染拡大を抑制するためのものである。防疫目的の検査は感染性を有しない感染者を見つけるものではない。一方、診断目的検査では感染性にかかわらず、感染者であること(体の中のどこかに感染していること)を診断することが目的である。
スクリーニング検査では多くの場合に無症状者が対象となる。その場合には咳や痰は出ないので、唾液や鼻咽頭ぬぐい液などの上気道検体に存在するウイルス量(ウイルス排泄量)が検査のゴールドスタンダードとなる。なぜなら感染性はウイルス量が多いほど高くなり、ウイルス量が多いほどPCRは確実に陽性となるためである。臨床データにおいても感染性の指標となる培養陽性の検体でサイクル閾値(Ct値)の高いものはほぼ見られず、Ct値がたとえば35以上の場合はほぼ培養陰性となることが知られている。[2-4]
これを踏まえれば、PCRで陰性となったにもかかわらず、検査時点の感染性が高いケースは稀であるとみるべきである。すなわち、感染性をみる場合には、上気道検体を用いたPCR検査の感度はほぼ100%となる。偽陰性率は(100%−感度)なので、リアルタイムの感染性を評価する場合には偽陰性率もほぼゼロになる。
図2の論文の二つ目の間題点は、偽陰性率が現実のデータと比較して大きな値となっていることである。発症から3日後の偽陰性率が最低値を示すというのは誤りである。科学コミュニティーからは、この論文の元となる観察データが少ないため正確な結果が得られなかったと指摘されている。また、診断検査におけるPCR検査の偽陰性が起こる理由は、このウイルスの全身感染症である特性が現れたためである。すなわち、体内の深部の臓器にウイルスが存在しているステージの場合には、上気道の検体からウイルスのRNAが検出されないのは当然であり、これはPCR検査の精度の問題ではない。
さて、リアルタイム定量RT-PCR検査では、ヒューマンエラーによる検体の汚染がなければ基本的に偽陽性は出ない。課題となるのは、回復期陽性のケースだ。ウイルスの残骸RNAをも検出できることで起こる特性であり、検査の精度の問題ではない。この課題については、時系列で複数回採取してCt値の推移を評価することで、回復期であるか否かを区別することにより対処が可能である。また、ウイルス量が多く感染性の高い感染者ほど賜性となりやすく、回復期の陽性者を含めても人口に占める陽性者はわずかである。感染者は、検査をしなければ効率よく見つけることはできないが、検査をすれば高精度に判定できる。また、新興感染症の陽性者は、陽性者の周辺で見つかりやすいという性質がある。したがって.幅広い検査で陽性者を見つけ、見つかった陽性者の近辺で濃厚でない接触者も含めて感度のよい検査を十分多最に実施することは、感染者を発見し保護隔離し.市中感染者密度を低減させていくための手段として極めて有用である。
(2)推定結果について
前述の推定の根拠に誤りがあるため推定結果にも誤りが認められる。図3に示す「宮古島市への助言文書」の「推定結果」の表には、症状の有無によらず市民1万人に検査を実施した結果が示されている。
感染性がある人が91人いると仮定されているがこのうち検査で陽性となるのが56人にとどまっている。計算上の検査の感度は61.5%となり、偽陰性率は38.5%となっている。前述のように、防疫目的の検査の場合には感度は100%となる。したがって実際には、感染性がある91人のうち陽性になるのは91人全員であり、感染性がある91人のうち陰性になるのは0人である。
また、推定に用いる数値の項目の最後の行に、「偽陽性はないと仮定」と記載されているが、この図3では感染性のない9909人のうち85人が陽性とされ、仮定に反した記載となり、計算上の偽陽性率が0.8578%となっている。すなわち、計算上の特異度は99.1422%となっており、仮定にも現実にも反している。現実には、中国青島にて1089万人の都市全員検査を実施し、陽性者12人は全て真陽性であった[5]。つまり特異度は100%だ。仮に、全員偽陽性だったとしても特異度99.99988%以上はあることになる。日本での特異度が中国ほど高くなかったとしても、99.1422%といった低すぎる特異度を根拠なく適用するべきではなく、偽陽性はないと仮定するならば100%として計算すべきである。この場合、実際に感染性のない9909人に対して検査を行うと、偽陽性者は0となり、陰性者は9909人となる。最後に、図4の推定結果の表は、症状のある55人に検査を実施した結果が示されている。
感染性がある55人のうち陽性者が41人となっており、計算上の検査の感度は74.5%となり、偽陰性率は25.5%となっている。しかし前述のように、防疫上は検査時点で感染性のある者を発見する感度を用いるべきであり、RT-PCRのそれは100%に近いとみなされるべきであるため、感度も100%を置くべきである。すなわち感染性のある55人のうち陽性者は55人となり、陰性者は0人となるのである。
結論
「宮古島市におけるスクリーニングPCRの疫学的推定」について科学的検証を行った。推定の根拠については、感染性を測定する場合の防疫目的検査の感度に対して診断目的の検査感度を誤用していることが判明した。この誤った推定の根拠を用いたため推定結果で感染性がある人々の陽性者の数が低くなり、陰性数が高くなるという誤った結果を示していた。また、推定に用いる数値において偽陽性はないと仮定して推定結果を示すとされているが、この疫学的推定の表を見ると偽陽性はあると仮定されており、誤った結果が示されている。まれなヒューマンエラーによる検体の交差汚染がなければ偽陽性は起こらないし、回復期陽性についてはサイクル閾値を評価することによって見分けることができる。結論として.「宮古島市におけるスクリーニングPCRの疫学的推定」は誤った根拠と推定にもとづいているといえる。
結果的に宮古島市長には誤った知見が提供されることとなった。適切な科学的知見をもって政策決定が行われるためには、諮問形式でオープンに実施するなど、第三者の目も入る透明性のあるシステム下で、情報提供、助言がなされるようにすることが必要であろう。新型コロナウイルスはいまだ、未知の部分が多い感染症であり、叡智を募り、蓄積された経験を共有しながら対処していかなければならない領域が多いからである。
1-宮古毎日新聞「限定的実施で検討/全市民PCR検査」2021年3月25日
2-A.Singanayagametal.: Duration of infectiousness and correlation with RT-PCR cycle threshold values in cases of COVID-19, England, January to May 2020. Eurosurveillance, 25, 2001483(2020), https//doi.org/10.2807/1560-7917.ES.2020.25.32.2001483
3-M.-C.Kim et al.: Duration of culturable SARS-CoV-2 in hospitalized patients with Covid-19.N.Engl.J.Med., 384, 671-673(2021), https//www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMc2027040
4-V.Gniazdowski et al.: Repeat COVID-19 Molecular Testing Correlation of SARS-CoV-2 Culture with Molecular Assaysand Cycle Thresholds. Clin. Infect. Dis., ciaa1616(2020), doi:10.1093/cid/ciaa1616
5-Y. Xing et al.: Rapid Response to an Outbreak in Qingdao, China. N. Engl. J. Med., 383(23), e129(2020), DOI: 10.1056/NEJMc2032361